web拍手コメントへのお返事:作者と読者の読み筋のズレにつて

Twitterでの私のツイートについて、Web拍手のコメントでリプライいただきましたので、そのまたお返事です。どなたか存じませんが、反応ありがとうございます!

私の元記事、このあたりだと思います。長いスレッドの途中です。
(いつも話がとりとめもなく長いです。)
前後のツイートも読んでいただかないと、文脈が見えにくいかもしれません。

「作者がこの作品はここが萌えると思って書いたものでも、読者さんがそこで萌えるかは未定。作者の意図からズレた全然ちがうところで萌えたり感動したりするかもしれないが、それでいいと思う」というような話しです。

また、「物語が詳しくなるにつれて、当初は好きだったキャラクターの様々な側面がわかり、読者さんの好みと、作者が描く人物の萌えツボがズレる」現象について。「詳しく分からないから空想で補える良さがあった」のに〜、というようなのです。

それについては書き手にとっては永遠の難問だと思います。自分の好みを書けばいいんだと思いますし、それしか書けないでしょうけども、「詳しく言わなければ皆で幸せになれたのに」という面も、作品にはあるでしょう。

ツイートにもありますが、私はそれを微妙に対象読者のちがう切り口で別の番外編を書くとか、作品ごとに演出の方向性を変えるなどして対策としています。機能してるか分からないですけど。自分が描ける作品の幅を全て書くという感じで、そしてその作風の幅の中のどの部分が好きかは、個々の読者さんに選んでもらうのです。

ここだけが好きというのがあっていいし、ここは嫌いもあっていいし、それは誰にでもあると思います。貴方の書くものが何もかも好きっていう事も、無いではないけど、レアケースだという認識でいます。

前置きめっちゃ長いですが、ここからレスポンス。いただいた拍手コメントです。

読み手としては、読んだ時のツボ(ビンとくるところ)どころか、書き手が書いてる時の想像自体違うこともある。作者さんこういう感じのを想像して書いてるんかなーと思っていたら、全然違うところを意識して書いていたり。
あれも面白いですよね。
でも面白いから読んじゃう。

ありますね、そういうのが。読者さんと作者は全然別の人生を生きてきた人間で、視点も違いますし、読者さんにも様々な人がいるので、皆で全く同一のイメージを共有するというのが、たぶん無理なのだろうと思います。

作者は読者さんとの公約数の部分をなるべく多く持ちたいと思って書くのかなと。お互いが割り切れるポイントを作ることで、なんとなく「一致した」という通じ合った気持ちに一瞬なれる。

そのポイントが一個でも二個でも多くあるように頑張る感じかなと思っています。

でも、小説もいろいろでしょうけど、いくら読者さんには割り切れるものでも、作者自信が割り切れないと作品になりませんので、私の個人的な感覚かもしれませんが、小説は「読者さんを説得する作業」に近いものがある気がします。

結局は私(作者)の話を聞いていただいていて「あーなってこーなって、こうなると、感動するよね?」とか「腹立つよね?」とか「萌える」みたいなのに、読者さんが「なるほどー、そうかもね?」とか「それな!!」って思ってくれたら、まあ成功、書いてよかった……というものかなって。

その話を聞いてもらった結果として「そうかな? そうは思わないな」という人もいて、それはそれで、その読者さんの独自性なので、「共感できない」という感想でいいんだと思います。欲を言えば、「なぜ共感できないのか?」「どうだったら共感できるのか」を思ってもらう機会になれれば、作品としては、成功とは言えないまでも、ひとつの着地点に届いたということなのかな……。

そこで個々の読者さんの納得できる方向性や結末に合わせていくという手もあるんですが、私はWeb小説でそれをやる気はなくて、作品はあくまで「作者はこう思う」というのを聞いていただく機会だろうと思っています。そこに私の個性や独自性がないなら、私の作品とは言えないからですね。他人好みの作品をゴーストライティングすればいい作品になる訳ではないと思います。

あと、作品ごとで人物の現れてくる(もしくはその時点での人物像が異なる)の、好きです。

私も好きです。私がそれを好きなのは、いろんな側面がある人物像が好きだからですね。

椎堂さんの作品、萌えかどうかはともかくとして、人物のいろいろな葛藤に読みをそそられてしまうのですよね。読みをそそられるというのと萌えというのはまた違うような気がしますが、・・・萌えは奥が深い・・・。

「萌える」とか「エモい」って便利な言葉で、なんとなく分かったような気持ちで使うんですが、結局なんやねんというのがあります。それが人のどういう気持ちや反応を表してるのか、わかりやすいようで、はっきりしないですよね。まあ、たぶん「好き」の仲間なんだろうと思いますが、どういう好きさか。

感動を表す用語で「心の琴線をかき鳴らすような」というのが昔からありますが、それに近いものなのかなと時々思います。自分が弦楽器だとしたら、読んで何かが弦に触れる。音が出るまでいくか分かりませんが、何かが震えるような。それは感動かもしれませんし、「んん?」と気になる程度かもしれないですが。とにかく何か心が動くような物事かなあと。「気になる」とかですね。

私はいつも自分の心が動いたり、すごく気になったり、興味をそそられるものを自作品に書いていて、それが私の「萌え」です。「かっこいい!」とかですね。ぞわぞわしたり。胸がぎゅうっとするような。何かそういう、通常でない、自分にとって注目に値するもののことを書いているのですが、それが時にはすごく些細なことです。

そのひとつが人間の心の葛藤でして。

たとえば「カルテット」で、スィグル・レイラスから見てシェル・マイオスは敵なのか友達なのか。シュレーは天使なのか友達なのか。シュレーはアルミナを、イルスはヨランダを好きでいいのか、だめなのか。シェルはレイラス殿下が好きでいいのか、大嫌いでもいいのか。そういうことです。

人間はみんな死にたくない。でも死んで英雄にならないとと思うジェレフとか、そういうのですね。

人間て、私もですが読者さんも、生きてれば何かしら葛藤したり苦悩したりするものだと思うんですが、架空の人物も苦悩している。架空の人たちの一生はあっという間です。長くても、私が書く何百万字を読者さんが読破する間に終わってしまうのですが、その間に主人公たちはなにかの結論は出します。それはときどき苦渋の決断であったりもして、まあ大変です。たぶん。

それでも、選んだ方の道を行く、というところに、何か「萌える」というか、心の弦が鳴る。好きか嫌いかは分からないけど、読む人は何かは思ってくれるだろうという期待を持って書いています。その情動が、私が作品を書く狙いです。

なんだか漠然としていますけどね……。

人の心の琴線をかき鳴らそうというのは大それたことで、めったに成功するものではないと思います。とりあえず、私は自分の心の弦が震える何かを書いて、それに共鳴してくれる人が読んでくれるのを待つしかありません。

ジェレフは私の物語では、結局、命がけで仲間を救う英雄だったんでしょうか。それとも、それ以外に生きる手立てがなくて、やむをえずそうなった後に、詩人の筆によって英雄に祭り上げられ、都合よく上手に使われた人だったんでしょうか。「どっちだったと思う?」というのを、私は読者さんに聞きたくて書いてるのかもしれません。あるいは「どう思いたい?」「どっちが好き?」というのを。

それが読み手さんの独自性であり個性だからですね。

だから、どうとでも思えるように書くのが好きです。結論を出すのは読者さんが自分の心の中でしてくださればいいなと思います。

ジェレフはかっこいい人。でもちょっと情けない人。それでも最後は英雄的に死んだ。頭のいいバカ。けど皆、彼の存在を愛した。そういう物語です。

 

……話長ぇな!?
すみません。自分のブログなので許してください(;´Д`)!!

長いついでにTwitterでつぶやいていたシンデレラのパロディねた、好きだったなと思うので、Twitterつながりでメモっておきます。

みたいなやつ。書きたいね。