明治時代の京都写真のギャラリーに大正〜昭和のお写真も

暑すぎて地上を歩けない京都市内ですので、(嘘です歩けます)四条通の地下道を歩いておりますと、そこで明治150年記念「みんなの写真展~四条地下道タイムトンネル~」というイベントが開催されていました。

こんな感じ。

今年、平成30年は明治元年より150年。
京都が都やのうなって150年ということです。そうなのかー。

ぐぐってみますと、明治150年 京都のキセキという公式サイトが開設され、京都市内でいろいろな催しがあるみたいです。

そこの「プロジェクトについて」というページを参照しますと、

京都は明治維新で都の地位を失い,人口の3分の1が減少するなど,大きな危機に直面。「京都はいずれキツネやタヌキのすみかになる」といわれたそうです。

とあり、うわわわわ……という感じが。当時の京都の人たちの「もう終わりや」みたいな毒舌がまざまざと想像できました。「京もえろう寂れてもうて、そのうち狐か狸くらいしかいいひんようになるわ」みたいなやつですね? リアル……(汗)

都という意味では、盆地に位置する京都には都市機能に限界もあり、遷都もやむなしと私なんかは余所者ですから思いますが、今では京都は観光都市として、人多すぎの状態なので、キツネやタヌキ以外もたくさん居て、賑やかでよかったですね。

四条の地下道のは、明治がメインの写真展ですが、白川編の参考になりそうな大正〜昭和の写真もあって、ありがたいなあと拝んできました。

この四条大橋の写真は、撮影時期が昭和10〜15年と推定されていて、白川編が昭和16年に幕開ける物語として設定していますので、作品に登場する四条大橋はこんな様子だっただろうと思います。

鴨川の流れが今より水量が多いように見えます。市電が走っていて、車も走ってますが、今よりずうっと少なくて、人々は着物の人が多く、でも洋装の人も稀ではないぐらいにいますね。橋の左側の歩道には洋装の幼児を連れて歩いてる女性もいて、可愛らしい様子です。この子はご存命かもしれないですよね。当時5歳ぐらいだったとして、1940年だったとしたら、今現在83歳でいらっしゃるわけで。

こちらは昭和10年、新京極通りとのことで。ふれあいタウン新京極にアーケードがない! 未舗装です。そして映画館がずらりと。話には聞いてましたが、こんなふうだったんですね。左手前には学生服に下駄の男の子。京大生? 日傘さした粋な横段の着物の女性の前には洋装の女性も。右側の奥にも、洋装のワンピースに帽子の女性と、着物の女性が。なんというシュッとした着姿でしょうか。お振りも少し長めに見えます。右手前には、なぜか振り返って二度見してるっぽい袴姿の女学生さん(?)がいてはりますね。すれ違った二人がおしゃれだったからでしょうか。

提灯に祇園社(八坂神社)の紋が入ってますね。祇園祭の頃でしょうか。
この頃の巡行ルートは、この新京極通りの隣の寺町通りを通っていたと聞きます。今は河原町通を通り御池通へ進んでいますね。

そしてこちらは、昭和2年とのことで、場所は岡崎の動物園です。
素敵な着物姿に日傘の女性が二人写っています。束髪と日本髪ですね。

納涼夜間開園の日の写真とのことで、噴水の池に龍虎のオブジェが。京都市動物園には今も池があるんですが、これ、同じ池?

この動物園の写真は、撮影用のモデルさんが写っているのかもしれないんですが、すごく美しい着姿です。隙きのない襟合わせ。

新京極通の写真の袴の女性も襟合わせがきっちりですね。たぶん、こちらの写真は通りすがりの人が急に撮影されたのにですね。ワンピースの女性と歩く白地の着物の女性も、帯は胸高のお太鼓結びで、お端折りの下線がぴっちり定規で引いたような水平の直線です。まさに絵に描いたような裾窄まりでですね。なんて着付けが上手な人なんや……。

昔の日本人には着物は日常着で、ゆるっと着てた。気崩れたり、襟がゆったり目だったり、とにかく現代の着物モデルさんみたいな着付けじゃなかったんだという話も聞くんですが、この頃の新京極がハレの場だったのもあるんでしょうか。着物モデルさんみたいな完璧な着姿で、びっくりしました。女学生もモデルさんみたい。本当にこれで生活してたんでしょうかね?

いつの時代も、おしゃれな人は、おしゃれだったんだなあ。

などなど、楽しく拝見しました。

展示されている写真はもっと沢山ありますし、明治の頃の京都も興味深いです。皆様も行ってみてくださいね。面白いですよ。